「この国の近未来を体現する島」
全国でもその人口規模に比して飛び抜けた高齢化率となっている周防大島町。平成27年の国税調査では人口17000人余りで高齢化率は51.9%となっている。(※2020年8月1日現在、人口約1万5500人、高齢化率約54%)
この島で無床の診療所と複合型コミュニティ介護施設を営む医師、岡原仁志さん(60歳)は診療所や施設のスタッフと医療・介護活動を通じて、豊かな老後を過ごすために医療や介護はどうあるべきかを問い続けています。
平成30年、周防大島の年間検死数はおよそ50件(島内全死亡者の約10%)に上ります。在宅や農作業中に死亡した島民がすぐには発見されず、結果変死として処理されるためです。この数字は、決して対岸の火ではなく、このまま有効な施策が打たれない限り近い将来都市部でも起こりうることです。否、もう既に起こっている事かもしれません。
先ずは、医療者や介護者だけではなく一般の生活者が自分事と感じる事が重要であり、「豊かな生」や「豊かな死」を望む思いが必要であると考えます。
「高齢者が安心して暮らすことが出来る社会とは?」
映画では高齢化に伴う様々な問題を提起しつつも、安易に警鐘を鳴らすだけではなく、その解決のために日々活動している岡原さんたちの姿から、高齢者が安心して暮らしていける社会のためのヒントを得る事が出来る作りを目指します。
監督 溝渕雅幸
おげんきクリニック院長 医療法人おかはら会理事長、1960年6月9日生まれ。
順天堂大学医学部卒業後、同大学にて消化器・一般外科医として勤務。平成7年より在宅医療を開始。平成12年より同大学にて整形外科医として勤務。平成15年に周防大島に戻り岡原医院副院長。平成16年、岡原医院をおげんきクリニックと改名し開設。
平成24年、複合型介護施設&コミュニティ おげんきハグニティ開設。現在に至る。
監督/溝渕雅幸
福岡で生まれ大阪・奈良で育つ。大学を中退後、大阪の夕刊紙勤務を経て映像制作の現場へ。1990年より監督としてCM、企業PR映像、教育映画、TV番組など数多くの作品を演出。
撮影/長谷川智章
1969年6月16日大阪市生まれ 企業PR映像や商品紹介映像、CM撮影の他、モータースポーツや舞台、ダンスなどのライブ撮影、そしてドキュメンタリーの番組やビデオパッケージの撮影に携わる。
録音/山下彩
大阪芸大映像学科卒、2003年に中国北京電影学院に留学し、録音学科修士課程を修了。その後日本、中国、台湾で映画の現場録音、通訳に携わる。
参加作品:『セデック・バレ』、『記憶が私を見る』、『黒四角』、『恋するミナミ』
プロデューサー/藤原福次
1968年4月29日京都市生まれ。
舞台照明、映像制作会社勤務を経て2012年に株式会社ディンギーズを設立。企業内映像の製作やイベント運営を行う。2013年より映画製作・配給にかかわる。
2020年/日本/カラー/4KDCP/108分
監督:溝渕 雅幸
製作統括:藤原 福次
語り:とりばみ はる
音楽:ザビエル大村
題字:小笠原 望
撮影:長谷川 智章/落合 温史
録音・整音:山下 彩
録音:石川 泰三/平群 誠
カラーグレーディング:齊内 聡/仲田 悟志
サウンドミキサー:吉田 一郎/朴 京一
エンディングテーマ:「結びの島」 作曲:ザビエル大村
資料提供:宮本常一記念館
木村 重樹
参考文献:『フランクルに学ぶ』(斉藤啓一著 日本教文社)
撮影協力:一般社団法人周防大島観光協会
周防大島町立橘医院
東海青年医会
名古屋国際会議場
名古屋国際会議場 展望レストラン「パステル」
おげんきクリニック
複合型介護施設&コミュティ おげんきハグニティ
技術協力:.有限会社ガリレオクラブ
株式会社グッド・ジョブ
Ballast9
アスツナグエイゾウ
有限会社アップリンク
製作協力:医療法人 おかはら会
後援:公益財団法人日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団
制作:R’s STAFF
製作・配給:株式会社ディンギーズ
劇場用ドキュメンタリー映画「いのちがいちばん輝く日」(2012年)、「四万十 いのちの仕舞い」(2017年)を発表し、受けつがれる「いのち」をテーマに作品を創る溝渕雅幸氏。本作では人口減少が進む瀬戸内海の島で、そこに暮らす人々と医師との交流を描いた。
本作の出演者岡原仁志氏との出会いは2018年、「四万十 いのちの仕舞い」を劇場でご覧になった方から、「山口の周防大島に変わったお医者さんがいる」と紹介されたのがきっかけだ。岡原氏は、東京の大学病院を辞め島に戻り、そこに暮らす人々を支えるためにクリニックや高齢者施設を運営している島の医師だ。「ハグとユーモアで、心と体を癒す」をテーマに、クリニックでの診療や地域の往診に奔走している。
溝渕氏はすぐに山口県周防大島へ出かけ、岡原医師と面談する。その活動のユニークさと、根底にある思いに共感し、映画化への着想を得る。
「結びの島」最初の撮影は平成30年9月7日。クリニックでの岡原医師は患者さんに愛とユーモアをこめて声をかける。「今日も綺麗だね」「畑のようすはどう?」。そして最後に患者さんとハグ。困った顔の患者さんも中にはいるが、みんな笑顔だ。往診でもそれは変わらない。道中、道端に咲く花を写真に撮り、海の音を動画で撮影し、ベッドに横たわる患者さんに届ける。「今日もいい天気だよ」「紫陽花が咲いたよ」と。
こうして、結びの島の撮影は岡原医師の活動と、島の人々との交流を中心に、四季折々の周防大島の風景と合わせて、2020年6月まで1年9か月に渡り計12回、撮影日数にして計35日間行われた。取材した患者数は延べ74名(訪問診療38名、外来患者36名)にのぼる。
かつて島は「みかんの島」とも呼ばれ、昭和40年代には山の斜面は一面のミカン畑と棚田で彩られていた。しかし現在、農業を支えているのは高齢者だ。島を走れば、かつては棚田であっただろう田んぼが、草に覆われ自然へと還っていく風景を見ることが出来る。人々が暮らした家屋も、草木に覆われ朽ちていく。撮影を続けるうちに見えてきたのは、人々の温かな触れ合いが残る豊かな島と、朽ちていく現実の島の厳しさだ。岡原医師は島で暮らす人々の「自分らしく暮らしたい」「島でいのち仕舞いたい」という思いを支えるように活動を続けている。